1892〜1959
大正6年(1917)
共箱 with a signed original wooden box
19.0×21.2×4.4(H)cm
「暮れてゆく春のみなとは知らねども霞に落つる宇治の柴舟」 寂蓮法師
新古今集に収まるこの名歌は、春という季節は去ってはどこに行き着くのだろう、という感傷を霞がかった宇治川をゆく柴舟の姿になぞらえたものです。
作者の吉田金英は伊勢屋派と呼ばれた京都の塗・蒔絵師派閥の中心にいた人物で、のちに三代吉田金年を名乗りました。明治43年に美術工芸学校描金科を出、東京の蒔絵師・舟橋舟aに師事したのちに帰京。遠州流のお茶も学んでいました。明治45年より競技会や各展覧会に出品を重ね、神坂雪佳ら主宰の佳都美村にも参加しました。
こちらの作品は光琳蒔絵にて上記の歌意をあらわしたもの。蓋甲面に螺鈿と鉛板を用いて宇治川を行く柴舟を画面からはみ出すように描き、蓋裏には静かな柳の姿に「くれて 行(く)」の歌いだしを螺鈿で書いています。当時の請求書?も遺されていて、それによると大正6年6月23日に50円でやり取りされたようです。共布・共箱も添っており、共箱の底面隅に「漆器(誂?)京都市姉麩東伊勢平」の印が捺されています。姉小路通麩屋町東入の事でしょうね。今でも老舗の蕎麦屋さんや絵具屋さんが並ぶ古い通りです。「伊勢平」は吉田金年家の屋号か呼名でしょうね。代々「平」の字を名前に付けていました。金英は本名「平治」です。 |