京都の名工・長野横笛が起こした漆器店・橘屋は、二代目の時に隆盛を極めるものの三代目は早くに没してしまい、「橘屋」の屋号はその門人の浅野友七が受け継いだ。
生没年は定かではないが、1860年没とされている記述や、かたや明治5年・11年の京都博覧会に「浅野友七手道具商社・博覧会社」の名があったり、他にも「浅野宗七」や「浅野孫七」という名がその時期に見える。
総合して推察すると、横笛門人の初代橘屋友七は幕末頃に亡くなっていて、その子(あるいは縁者)が「橘屋」の屋号をさらに引き継いでいたのではないか、と考えられる。 松竹梅を金銀や螺鈿であらわした洒落た提重であるが、多少のスレ・アタリなどあるもののコンディションはいたって良好である。蒔絵文様の配置や蝋色の堅い塗りなどは長野横笛からの流れを感じさせ、飾っても良し、使っても良しの逸品である。
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