本名は源吾。明治42(1909)年に別府町立工業徒弟学校漆工科を卒業。大正5(1916)年に上京し、名工・渡辺喜三郎の指導を受ける。同10年頃から各種展覧会などに出品を始め、受賞を重ねた。関東大震災後に一旦金沢へ移るが、昭和7(1932)年頃に再び上京。文展や日展で活躍した。戦時中に岐阜県下呂町に疎開し、亡くなるまで同地にて制作をつづけた。 乾漆胎を活かした造形的なフォルムに色漆をグラデーションさせた「ぼかし塗り」技法を施すことを得意とし、モダンながらも落ち着いた雰囲気の作品が多い。