明治10年尼崎藩御典医の三男として生まれ、和一齋に師事し、後独立する。花道家元を継承し煎茶道も善くして、その教養にもとづいた感性により唐物風の作品や、古矢竹の応用そして柳里恭式などの独創的な作風を完成させた。数多くの弟子を育成し、大阪竹工芸界の重鎮として活躍した。